なにものかへのレクイエム ★Shin'go vol.006★
恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館にて、
森村泰昌「なにものかへのレクイエム -戦場の頂上の芸術-」が開催(〜5月9日)されています。
http://www.syabi.com/details/morimura.html
「なにものかへのレクイエム」
80年代から一貫して、名画の登場人物や映画女優などに自らが「なる」変身型セルフポートレイトの
写真作品を手がけてきた美術家・森村泰昌。本展では、森村が「20世紀の男たち」に扮する新作
シリーズ<なにものかへのレクイエム>を完全版でご紹介します。
<なにものかへのレクイエム>シリーズでは、森村は「男性的なるもの」の輝きを求めて、政治や
戦争、革命という「現実」の世界、20世紀を記録したシリアスな報道写真の世界に取組んでいます。
過去に発表した作品のなかで、女性に「変身」するイメージが強かった森村泰昌。「男たち」になる
ことは、自らの身体を媒介にして性を自由に超越し、「私」の可能性を追求するセルフポートレイトの
新たな挑戦でもあります。
『現在私たちは21世紀を生きています。しかしこの21世紀は、かつて人々が想像していたような
夢の世紀ではないようです。にもかかわらず、人類はこの21世紀をまっしぐらに突っ走っているかに
思えます。前の世紀である20世紀をブルドーザーで更地にして、20世紀的記憶を忘れ、その上に
どんどん21世紀が出来上がってきつつあるように思います。私はここでいったん歩みを止めて、「これ
でいいのかしら」と20世紀を振り返りたいと思いました。過去を否定し未来を作るのではなく、現在は
過去をどう受け継ぎ、それを未来にどう受け渡すかという「つながり」として歴史をとらえたい。そして
この関心事を私は「レクイエム=鎮魂」と呼んでみたいと思いました。』(森村泰昌)
鎮魂歌(レクイエム)。それは、森村泰昌というひとりの美術家が自らの身体という器に歴史の記憶を
移し替えるセルフポートレイトの表現によって、過ぎ去った人物や時代、思想への敬意をこめて、
失われていく男たちの姿を21世紀に伝えようとする行為なのです。20世紀とはどういう時代だった
のか?歴史の記憶に挑む森村泰昌の新たなセルフポートレイト表現の集大成をお楽しみください。
※東京都写真美術館ホームページより抜粋
館内に足を踏み入れると、森村演じる三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地に立て篭もり、最期の演説を
行った様子をスクリーンに甦らせています。「いまならまだ間に合う」と必死にクーデターを訴えか
ける三島(森村)の声に対して、彼の視線の先は日曜日の公園のように平和な風景。
その温度差に「20世紀」と「21世紀」が表現されているのでしょうか。
ここからは展示の概要です。
第1章「烈火の季節」(2006)
第2章「荒ぶる神々の黄昏」(2007)
三島事件をはじめ、浅沼稲次郎暗殺事件やリー・ハーヴェイ・オズワルド射殺事件など20世紀を
象徴する事件と、アインシュタイン、ウラジーミル・レーニン、毛沢東、チェ・ゲバラ、ガンジーなどに
扮したセルフポートレイトが展示されています。
第3章「創造の劇場」(2010)
20世紀を代表する芸術家にスポットを当て、森村が芸術家本人になりきっています。
サルバドール・ダリ、アンディ・ウォーホル、手塚治虫、パブロ・ピカソ、レオナール・フジタ、マルセル・
デュシャン……。
第4章「1945 戦場の頂上の旗」(2010)
昭和天皇とマッカーサー会見、タイムズ・スクエアの終戦記念パレードの写真と共に、今回の
クライマックス「硫黄島の星条旗」の映像作品が上映されています。
本来ならばアメリカ軍が硫黄島に星条旗を掲げるのですが、ここで掲げられる旗は真っ白な布。
兵士たちのヘルメットには花が飾られ、ある者はアコーディオンを肩に提げ、ある者は絵を描くキャン
バス、楽器、花束、大きな定規を手にしています。
そしてその兵士たちによって掲げられた大きな白旗は森村の言葉となって問いかけます。
私達は、戦場の頂上に旗を掲げます
意気揚々たる、勝ち誇る旗ではありません
一枚の薄っぺらな画用紙 平々凡々たるカンバス
私の旗は 白い旗です
見上げれば、宇宙の風 見下ろせば、戦える大勢の人々
宇宙の風と戦いの影がせめぎあう 地球の頂上に立ち
あなたなら
どんな形の
どんな色の
どんな模様の
旗を掲げますか
去りゆく記憶。
その記憶が葬るべきものであったとしても、起こった事実に対しての鎮魂(レクイエム)をセルフ
ポートレイトの手法で行った森村泰昌の、非常に見応えのある展示でした。
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shin'go
森村泰昌「なにものかへのレクイエム -戦場の頂上の芸術-」が開催(〜5月9日)されています。
http://www.syabi.com/details/morimura.html
「なにものかへのレクイエム」
80年代から一貫して、名画の登場人物や映画女優などに自らが「なる」変身型セルフポートレイトの
写真作品を手がけてきた美術家・森村泰昌。本展では、森村が「20世紀の男たち」に扮する新作
シリーズ<なにものかへのレクイエム>を完全版でご紹介します。
<なにものかへのレクイエム>シリーズでは、森村は「男性的なるもの」の輝きを求めて、政治や
戦争、革命という「現実」の世界、20世紀を記録したシリアスな報道写真の世界に取組んでいます。
過去に発表した作品のなかで、女性に「変身」するイメージが強かった森村泰昌。「男たち」になる
ことは、自らの身体を媒介にして性を自由に超越し、「私」の可能性を追求するセルフポートレイトの
新たな挑戦でもあります。
『現在私たちは21世紀を生きています。しかしこの21世紀は、かつて人々が想像していたような
夢の世紀ではないようです。にもかかわらず、人類はこの21世紀をまっしぐらに突っ走っているかに
思えます。前の世紀である20世紀をブルドーザーで更地にして、20世紀的記憶を忘れ、その上に
どんどん21世紀が出来上がってきつつあるように思います。私はここでいったん歩みを止めて、「これ
でいいのかしら」と20世紀を振り返りたいと思いました。過去を否定し未来を作るのではなく、現在は
過去をどう受け継ぎ、それを未来にどう受け渡すかという「つながり」として歴史をとらえたい。そして
この関心事を私は「レクイエム=鎮魂」と呼んでみたいと思いました。』(森村泰昌)
鎮魂歌(レクイエム)。それは、森村泰昌というひとりの美術家が自らの身体という器に歴史の記憶を
移し替えるセルフポートレイトの表現によって、過ぎ去った人物や時代、思想への敬意をこめて、
失われていく男たちの姿を21世紀に伝えようとする行為なのです。20世紀とはどういう時代だった
のか?歴史の記憶に挑む森村泰昌の新たなセルフポートレイト表現の集大成をお楽しみください。
※東京都写真美術館ホームページより抜粋
館内に足を踏み入れると、森村演じる三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地に立て篭もり、最期の演説を
行った様子をスクリーンに甦らせています。「いまならまだ間に合う」と必死にクーデターを訴えか
ける三島(森村)の声に対して、彼の視線の先は日曜日の公園のように平和な風景。
その温度差に「20世紀」と「21世紀」が表現されているのでしょうか。
ここからは展示の概要です。
第1章「烈火の季節」(2006)
第2章「荒ぶる神々の黄昏」(2007)
三島事件をはじめ、浅沼稲次郎暗殺事件やリー・ハーヴェイ・オズワルド射殺事件など20世紀を
象徴する事件と、アインシュタイン、ウラジーミル・レーニン、毛沢東、チェ・ゲバラ、ガンジーなどに
扮したセルフポートレイトが展示されています。
第3章「創造の劇場」(2010)
20世紀を代表する芸術家にスポットを当て、森村が芸術家本人になりきっています。
サルバドール・ダリ、アンディ・ウォーホル、手塚治虫、パブロ・ピカソ、レオナール・フジタ、マルセル・
デュシャン……。
第4章「1945 戦場の頂上の旗」(2010)
昭和天皇とマッカーサー会見、タイムズ・スクエアの終戦記念パレードの写真と共に、今回の
クライマックス「硫黄島の星条旗」の映像作品が上映されています。
本来ならばアメリカ軍が硫黄島に星条旗を掲げるのですが、ここで掲げられる旗は真っ白な布。
兵士たちのヘルメットには花が飾られ、ある者はアコーディオンを肩に提げ、ある者は絵を描くキャン
バス、楽器、花束、大きな定規を手にしています。
そしてその兵士たちによって掲げられた大きな白旗は森村の言葉となって問いかけます。
私達は、戦場の頂上に旗を掲げます
意気揚々たる、勝ち誇る旗ではありません
一枚の薄っぺらな画用紙 平々凡々たるカンバス
私の旗は 白い旗です
見上げれば、宇宙の風 見下ろせば、戦える大勢の人々
宇宙の風と戦いの影がせめぎあう 地球の頂上に立ち
あなたなら
どんな形の
どんな色の
どんな模様の
旗を掲げますか
去りゆく記憶。
その記憶が葬るべきものであったとしても、起こった事実に対しての鎮魂(レクイエム)をセルフ
ポートレイトの手法で行った森村泰昌の、非常に見応えのある展示でした。
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shin'go
